過去20年以上時代を風靡した市場原理主義は破産、その推進者小泉純一郎元首相の政界引退は経済の潮流変化とあわせた時代の宣告なのだろう。
小泉改革の神髄は「民のことは民に」にある。言わば、80年代の「レーガン革命に始まる市場原理主義の日本バージョンなのだが、絶望的な格差や地方の困窮化、荒廃を生んでしまったのも事実だ。夏休みに東北の中都市の商店街を訪ねると、店は閉じられ人も歩いていない。まるで生きたままのゴーストタウンである。不良債権処理は確かに小泉改革の功績だろうが、事実上は米投資ファンドの手により行われた。自力による再生とは言えないところに小泉改革のひ弱さが表れていた。だから彼は郵政改革にこだわり、メモリアルを残そうとしたが、その弊害による痛みをとるアフターケアはない。しょせんは一匹狼による思いつきのぶっ壊しに終わった。
東京など大都会都心部は外資による不良債権買いあさりで再生したが、サブプライム危機で不動産投資信託の主役の外資が引き揚げた途端に不動産のミニバブル崩壊。
死屍累々たる状況を見れば、小泉氏が全国を遊説して回るのはそれなりの見通しを選挙民につたえなければならないはずだ。彼はその気力がないのだろう。
上げ潮派も小泉純一郎氏の亜流、冷めて伸び切ったラーメンを暖めて食わせようと奮闘するような閉店間際の店のようだ。
米国では市場原理主義の象徴であるウォール街のねずみ講バブルが崩壊、市場原理主義を信奉し推進してきた共和党保守派はバブル崩壊の深淵をみてマケイン候補を始めウォール街の強欲を激しく非難しているのも欺瞞だ。強欲というエネルギーがあるからこそ市場原理主義は機能する。
市場原理主義を貫けば、金融機関がいかに破綻しようとも、それは神の見えざる手にまかし、市場の自律的調整にまかせばよいというのに、そうすれば金融恐慌になって世界中が迷惑する。共和党は身内のブッシュ政権がまとめた救済案を否定しながらも、市場を壊したという責めも負いたくないという複雑な政治劇を演じている。
日本もそれに劣らず、「改革」の看板を継承していると称しながら、小泉改革を棺桶に封じ込めるのが麻生太郎の場当たり戦法で、対する小沢一郎民主党は官僚批判、小さな政府と言いながら結果的にはばらまきーー大きな政府につながる政策に進みそうだ。
こう考えると、市場原理主義に代わる、新潮流が見当たらず、米国も日本も「変革」と与野党問わず、連呼し、中身は実は何もない。
市場は危機、政策は混乱、方向性の見えない時代に入った。


by ..... tomtom
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